企業のデジタル化が急速に進むなか、サイバーセキュリティの重要性は年々高まっています。特に近年はテレワークやクラウドサービスの普及に伴い、システムが外部と接続する機会が増え、攻撃のリスクはさらに多様化、特にシステムの脆弱性が悪用される事例が急激に増大しています。こうした状況に対応するための取り組みの一つとして注目されているのが「脆弱性開示プログラム(Vulnerability Disclosure Program, VDP)」です。欧米を中心に海外では大手企業や政府機関においてすでに導入が一般的になりつつあり、日本でも徐々に普及が始まっています。当記事では、海外におけるVDPの普及動向に加え、日本の現状や課題と対策、さらに自社独自で導入するメリットについて解説します。
「脆弱性開示プログラム(VDP)」とは、一般市民を含むサービスの利用者、並びに外部のホワイトハッカー(セキュリティ研究者含む)が企業や組織のシステムに脆弱性を発見した際、それを報告できるようにし、報告を受け取った企業が修正や改善策を講じ、適切に開示を行うという一連の仕組みのことを指します。従来は利用者が脆弱性を見つけて報告しようとしても、どこに対しどのように報告すれば良いか分からない、報告しても適切に対応してもらえるか分からないため、ためらってしまう、さらには不正アクセス禁止法などの兼ね合いで攻撃者と間違われてしまうリスクを恐れ、報告されない傾向がありました。しかしこれでは利用者からのせっかくの善意や集合知が活かされません。そのため、VDPでは報告手順・範囲・報告者の保護などを明示することで脆弱性を発見した人が安心して、積極的に報告を行える環境を整えます。これにより、企業としては集合知を活かしたセキュリティリスクの早期発見が可能となり、利用者としても気になるシステムの不備に適切に対応してもらえることで安心が持てる、「Win-Win」の体制が構築されるのが特徴です。また、脆弱性を積極的に調査し、研究するホワイトハッカーにとっては自身が発見した脆弱性が公開されることで、キャリアアップに向けたアピールの機会にも繋がります。
VDPの基本的な仕組みをフローで示すと以下のようになります。
こうした報告から修正までのフローを明確に定義することで、企業は多角的な視点からセキュリティを補強でき、利用者やホワイトハッカー側も安心して活動できる環境が整います。
3-1. アメリカ合衆国
アメリカはVDPの分野でリーダー的存在です。2016年にアメリカ国防総省が始めた「Hack the Pentagon」は、ホワイトハッカーたちが合法的に同省のシステムの脆弱性を発見・報告できるプログラムとして大きな成功を収めました。
また、「Cybersecurity and Infrastructure Security Agency(CISA)」が連邦政府機関に対してVDPの導入を推奨・義務付けする方針を示したことにより、公的機関だけでなく民間企業にもこの流れが波及しています。GoogleやMicrosoftといったIT大手企業はもちろん、大手金融機関(例:JP Morgan Chase*1やWells Fargo*2など)でもVDPを導入し、ホワイトハッカーを積極的に呼び込む例が増えています。例えばJP Morgan Chaseでは脆弱性の発見に貢献した利用者やホワイトハッカーの氏名やSNSアカウントを公開しています。*3
*1 https://www.chase.com/digital/resources/privacy-security/security/vulnerability-disclosure
*2 https://www.wellsfargo.com/privacy-security/fraud/responsible-disclosure-program/
*3 https://responsibledisclosure.jpmorganchase.com/hc/en-us/articles/360023828114-Recognition-for-Responsible-Disclosures
3-2.欧州
欧州では、GDPR(一般データ保護規則)を背景に個人データ保護が強化されており、その延長としてシステムのセキュリティ体制に関する透明性を確保することが求められています。フランス政府では2019年に「Bug Bounty Platform」を導入し、国の重要インフラへの脆弱性報告を一括して受け付ける政府レベルの仕組みを整備しています。こうした国主導の取り組みは公共性の高い領域で力を発揮しやすい一方、個別企業が自社独自で運用する場合とはやや文脈が異なります。実際にはフランス国内でも民間のバグバウンティプラットフォーム(例:YesWeHackなど)を活用しながら企業が独自のプログラムを導入している事例も多く、柔軟な運用スタイルが浸透しつつあります。
また、オランダ政府が策定した「Responsible Disclosure Guidelines」によって、利用者やホワイトハッカーが法的リスクを恐れずに脆弱性を報告できるよう環境を整備しており、企業や公共機関が同ガイドラインを参照したVDPを導入する流れが広がっています。
3-3.アジア太平洋地域
アジア太平洋地域でもVDPの導入は活発化しており、日本ではIPA(情報処理推進機構)が脆弱性届出制度を運営するほか、大手IT企業や通信事業者の一部が独自の脆弱性報告窓口を設けています。シンガポール政府もサイバーセキュリティエージェンシー(CSA)を通じて国家規模のVDPを展開し、行政サービスやインフラストラクチャのセキュリティを強化しています。
上述のとおり日本国内ではIPAの脆弱性届出制度があります。しかし、欧米に比べると個別企業が独自に運営するVDPの導入はまだ限定的です。以下に主な課題と対策を挙げます。
こうした課題を解決することで、セキュリティリスクの軽減、企業の透明性と顧客信頼の向上、自社製品の品質向上、海外の優秀なホワイトハッカーとの連携といったメリットを得られます。近年のサイバー攻撃事例や情報漏洩事件を受け、日本企業の間でもVDP導入のニーズは高まりつつあり、大手通信事業者やECサイト運営企業など一部では独自の取り組みが進んでいます。
最後に、自社独自でVDPを構築・運営することがもたらす具体的な利点をご紹介します。
5-1. 運用の柔軟性
対象範囲や報告方法などを自由に設計できるため、企業のビジネスモデルやリスク許容度に合わせたプログラムを構築できます。無理なく段階的に導入範囲を広げることも容易です。
5-2. 迅速な対応
第三者機関を介さないため、報告受付から修正、そして報告者へのフィードバックまでを直接管理できます。これにより対応速度が向上し、重大なインシデントに繋がる前に問題を解決する確率が高まります。特に脆弱性の修正パッチがまだ用意されていない、いわゆる“ゼロデイ”に自社が気づけていないような場合で、利用者やホワイトハッカーが攻撃者よりも先んじて報告してくれることも期待できます。
5-3. ブランドの独自性強化
独自のVDPを実施している企業は、セキュリティに対する高い意識を外部に示せます。海外展開を視野に入れた企業にとっては、多言語対応の窓口を用意していることで国際的な信用度を高める効果も期待できます。
5-4. セキュリティ意識・品質向上への“気づき”
自社で主体的に脆弱性の報告を受け付けることで、外部からの新たな“気づき”が増えます。企業の外側から寄せられる声によって自社が見落としていた問題点や潜在的な脅威が浮き彫りになり、それに対応する過程で社内の開発部門や運用部門のセキュリティ意識が高まり、事業全体の品質向上につながることも大きな利点です。
脆弱性開示プログラム(VDP)は、企業がサイバー攻撃によるリスクを低減し、ユーザーや顧客への誠実な姿勢を示すための極めて有効な手段です。海外では政府機関や大手企業を中心にすでに広く導入されており、成果も確認されています。日本ではIPAの届出制度がある一方で、運用ガイドが日本語のみであることなどから海外の利用者やホワイトハッカーにとっては敷居が高いのが現状です。そこで、企業ごとに独自のVDPを導入することで、運用方針や報奨金制度を柔軟に設計でき、報告から修正までの対応速度も高められます。
このように、VDPは「企業の持続的な成長」と「顧客保護」を両立させるだけでなく、集合知と善意を有効に活かす仕組みでもあります。実際、日本人の利用者やセキュリティ研究者の多くは日本の企業を守りたいという思いを持っていますが、報告手順が整っていない場合、その日本人ならではの善意を引き出せず、大きな機会損失を招く恐れがあります。逆に、適切な環境を整備すれば世界中の利用者やホワイトハッカーはもちろん、国内の協力者も安心して脆弱性を報告でき、善意を味方につけることが可能です。
自社の実情に合ったプログラム設計を行い、人材不足などを外部パートナーやコンサルティング会社と連携して解決しながら運用していくことで、攻撃を受ける前に脆弱性を把握し、素早く対応する体制を確立できるでしょう。なお、TCSではVDP導入に関して豊富な知見を持つコンサルタントが在籍しており、企業規模や業種に合わせた柔軟なご支援が可能です。VDP導入をご検討の際はぜひお気軽にお問い合わせください。