企業が数十年先の未来を見据えて、長く、速く活動し続けるためには、瞬発力、持久力、柔軟性、そしてこれらの源である強いコア= “ 体幹”を獲得することが必要です。
アジア最速のハードラーとして、世界陸上選手権で2 度の銅メダルを獲得した為末 大氏に、アスリートの視点から考える“ 体幹” の重要性と、学び、成長し続けるためのエッセンスについてお聞きしました。
※本記事は、2023年10月に開催された当社イベントで講演いただいた内容を基に編集しています。
“ 体幹” というと、体の中心の筋肉のことを指しますし、チーム競技においてはファンダメンタル、つまり最も基礎となる技術と捉えられる場合もあり、スポーツの世界では非常に重要視しています。
体幹が重要な理由が三つあります。一つは崩されにくくなること。スポーツをしたとき、慣れないうちは腕や膝周りなど、体の末端が疲れますよね。これは体の中心が揺れてしまうので、末端でその揺れを制御しようとするからです。例えば、柔道の場合、途中まで張り合っていても、次第に負ける選手の中心がぐらついてきて最後に投げられてしまう。100m 走でも、レースの後半に一気に差をつけられるような選手は、保ってきた中心がぐらぐらと揺れて遅れていきます。どんな競技も体の中心の揺さぶり合いで、崩れた方の負けなんです。二つ目は速さです。体幹が鍛えられると、アスリートは速く動けるようになります。体幹がしっかりしていればいるほど、末端を速く動かせるようになるからです。そして三つ目は強くなること。人間の力は必ず中心から末端へと流れます。ホースと水の関係を思い浮かべてください。そもそもの水量が少なければ、いくらホースの先端をつぶして細くしても水の勢いは増しません。同様に、中心から出てくる力が増えない限り、人は力が出ないのです。
はい。著書で私が考える五つのアスリートの成長プロセスを整理しました。最初に“ 遊び” があり、それから“ 型・フォーム” を手に入れ、徐々にフォームの中の細部を“ 観察して分類” できるようになります。そして“ 中心” を手に入れて、最後は没頭して夢中で自分の体を動かせる“ フロー体験” の段階を迎えます。『遊』『型』『観』『心』『空』の5段階のうち、この4段階目が技術的にはある種の到達点で、ここが体幹、すなわち中心を手に入れるということです。アスリートに限ったことではありませんが、あらゆる分野で自分自身のスタイルをはっきりとつかんだ人、つまり、“ 体幹”を手に入れた人が、各分野のトップになっていることが多いのではないかと思います。重要なのは、体幹を鍛え自分自身の中心を手に入れると、立つために必要な最低限の力だけで、それ以外の部分の力を抜くことができるようになること。このようにリラックスした状態が取れると、何をされても、中心が崩れない限りは大きく乱されません。結果として体を大きく使ったり、速く動かしたり、自由に使うことができるようになります。
目標設定の最初は大抵ロールモデルです。私の場合は、カール・ルイスのようになりたいというのが最初の目標でした。しかし、100m 走で世界一になるのは難しく感じ、他に道はないかと探した時にハードルに出合いました。ハードル競技で世界一という新たな目標を設定し、そこから逆算してやるべきことを実行しました。ところが陸上競技は、上達するにつれてタイムが伸びなくなります。過去の自分を超え続けなければ評価されない世界の中で、日本一になり、世界でもトップクラスになると、目標とすべきロールモデルが少なくなってきます。そうすると、何のために走るんだろうという別の理由が必要になってきます。そこで重要なのがアイデンティティーです。どんなアスリートになって多くの人の記憶に残るか。さらに社会にどんなインパクトを与えられるかと考え、そこからモチベーションを絞り出して自分を鼓舞していきました。
ハードル競技の世界大会でアジア初のメダルを取ることです。世界一になることはかないませんでしたが、世界陸上選手権で2 回、銅メダルを獲得しました。スポーツが持つ最大の力はサプライズだと思っています。『できるわけがない』と思われていることを『できること』に変える。『日本人には無理』という思い込みを取り払うことが一番のモチベーションでしたね。ある意味思い込みを取っ払い、とても強いモチベーションを持って、取り組むことが重要だと感じています。
団体競技では“ パーパス” をチーム全体で共有することで大きな力が生まれます。2011 年3月の東日本大震災後、6月から7月にかけて、女子サッカーのワールドカップがドイツで開催されました。その準々決勝、地元ドイツ戦の直前に日本チームは震災の映像を見てから試合に臨んだそうです。母国が苦しんでいる時になすべきことは何か。その思い、“ パーパス” をチーム全体で共有したことで団結力が一気に高まり、優勝候補のドイツを撃破し、さらに準決勝、決勝と勝ち抜いて栄冠を獲得しました。苦しいときに、自分たちが何のために行動するのかという本当に信じられる理由を、チームの“ 体幹” として共有できていることが、組織の能力を引き出す大きなトリガーになります。
競技人生においても、前半は覚えることが大事ですが、中盤以降はいかに忘れて新しい自分に書き換えるかが大切です。選手にとって一番忘れなければならないのは成功体験です。一度成功すると、こうすれば大丈夫という記憶が残り、新しい試みを避けがちです。私も最初にメダルを取った時は、筋量を増やすトレーニングをしていたので、それ以降、そこに逃げ込む癖が付いていました。ところが、世界ランクが3番から30 番台まで落ち、根本から変えざるを得なくなり、技術の向上と筋肉の発揮を速めるトレーニングに切り替えました。そして体重を5kg 落とし、以前とは違う体型で2 個目のメダルを獲得しました。最後に必要なのは、決定的に追い込まれた先の勇気ということですね。
スポーツの世界では、エースとして期待されている人がさらに強くなるよりも、普通だと思われていた選手が強くなる方が、チーム全体の力は上がります。内部で成長するモデルが見えると、多くの人のマインドセットが変わり、『自分もできる』と成長が促されるのでしょう。ベテランのコーチは、見込みがあって周りへの影響が大きそうな選手を選んで鍛える手法を使います。これは企業においても有効でしょうね。もう一つはビジョンの共有です。それもフワッとしたイメージのまま共有するのではなく、しっかりと言語化し、その意味をみんなで考えて丁寧に使っていく。チーム員全員が同じ目標を同じ言葉で言えていたら、大体チームは強くなります。しかし、多くの場合は、それがぶれていたりします。例えば『ミッション』という言葉を日本語で『使命』と言う人もいれば、『志』と言う人もいて、捉え方が異なるわけです。新しい言葉が出てきたときに、その言葉の定義をチーム内でしっかり共有して、皆が同じ認識になっていることが非常に重要です。そうすることで、どういう目標に向かっているのかがクリアになり、組織としての文化が醸成され、強くなっていくのだと思います。
※掲載内容は2024年3月時点のものです
為末 大(ためすえ・だい)
1978 年広島県生まれ。2001 年エドモントン世界陸上選手権において、スプリント種目で日本人として初めての銅メダルを獲得。03 年にプロ陸上選手に転向後、05 年ヘルシンキ世界陸上選手権でも再び銅メダルを獲得。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3大会に出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2024 年3月現在)。現在はスポーツ事業を行うほか、アスリートとしての学びをまとめた近著『熟達論:人はいつまでも学び、成長できる』を通じて、人間の熟達について探求する。その他、主な著作は『Winning Alone』『諦める力』など。