製造業では、サプライチェーンや生産ラインから得る膨大なデータが重要な資産である一方、非構造化データが散在し、知見の継承や業務の効率向上を阻む課題となっています。特に、文書化されていない暗黙知は、経験豊富な従業員の退職などとともに失われるリスクがあり、品質管理や生産性の低下を招きます。
この課題に対し、AIと大規模言語モデル（LLM）が解決策となります。本稿では、AIを活用し企業に特化したカスタムLLMを構築する方法と、製品生産の精度の向上、意思決定を迅速化など、活用することによるメリットについて紹介します。
ハイライト
- 製造業のバリューチェーンから得られるデータは、設計・調達から生産、物流、販売、サービスに至るまで多岐にわたり、その量と多様性は膨大です。さらに、データはプロセスごとに分断されがちで、こうした業種特有の課題が迅速な意思決定や効率向上の妨げになっています。
- 大規模言語モデル（LLM）を業界固有のデータを用いてカスタマイズし、企業のニーズに特化した「企業向けLLM」を構築することで、より実用的なインサイトを得ることができます。
- LLMを活用することで製造業の製品生産の精度の向上、意思決定を迅速化、コスト管理の最適化ができるようになります。
目次
非構造化データの落とし穴
サプライチェーンや生産ライン、顧客需要、市場動向などから得られる膨大で多様なデータは、製造業にとって貴重な資産である一方、その複雑さゆえに大きな課題ともなっています。
製造業におけるデータは、バリューチェーン全体でプロセスごとに作成、管理され、複雑なマニュアル、技術文書、参考資料など、膨大かつさまざまな形式の情報が散在しています。こうした断片化したデータは、新入社員や言語の壁を持つ人々にとって特に理解しづらく、業務を習得、実施する上で大きなハードルになります。
さらに、業務の手順、特に経験から生まれるノウハウ（暗黙知）は文書化されないことも多く、重要な知見が共有されずに埋もれてしまうことも少なくありません。経験豊富な従業員の高齢化と退職が進む中、暗黙知は次の世代の従業員に引き継がれることなく消えていきます。こうした知見を整理、体系化・構造化し、共有することは容易ではありませんが、暗黙知を含む知見の継承は生産効率や品質管理に大きな影響を及ぼします。
このように構造化されていないデータは、知見の共有を妨げ、新しい従業員の効果的なトレーニング、一貫した品質管理の維持、そして進化し続ける現代の製造業への適応を困難にする要因になっています。
生成AIという希望
生成AIと、その基盤となる大規模言語モデル (LLM) は、この課題の解決に大きく貢献します。
製造業では、生産データやセンサーの測定値、メンテナンスログ、マニュアルなど、豊富な情報を生成AIに学習させることができます。学習が進めば、AIは文書化された手順を理解するだけでなく、過去の傾向やセンサーデータに基づき、文書化されていない手順についても推測できるようになります。
汎用的なLLMは、さまざまなデータセットを学習しているため、幅広いトピックに対応できる柔軟性を持ちます。しかし、特定の業種や業界の専門的な知識が不足しているため、細かなニュアンスを把握することが苦手です。
製造分野の複雑な手順などを理解させるためには、汎用的なLLMに業界と企業に特化したデータを学習させる必要があります。この学習により生成AIは情報をより理解し、有益なコンテンツを生成、具体的なインサイトを提供できるようになり、業界特有の課題の解決を前進させます。
「汎用的」から「企業向け」のLLMへ
製造業には、状況に応じて適切な情報を提供できるカスタマイズされたLLMが求められます。
ここでは、製造業に特化した機能に焦点を当てた「企業向けLLM」を構築する方法を紹介します。
データの微調整
- 製造業向け辞書の作成
LLMに業種特有のテキストやコードを学習させ、大量のデータから体系化した製造業向けの辞書（LLMが技術用語の正確な意味を理解できるようにするための業界固有の辞書）を作成します。この辞書には、製造工程のマニュアル、ホワイトペーパーなどの技術文書、業界の標準仕様、エンジニアリング仕様書が含まれます。また、製造業向けの辞書や経験豊富な作業者へのインタビューを通じて、ベストプラクティスやトラブルシューティングなど、これまでに蓄積された知見を明文化し、体系化します。
- 製造業者ごとのデータの最適化
製造業の専門用語や語彙の関連性に着目し、各業界に特化したデータセットを用いてLLMを再トレーニングし、最適化します。この作業を通じて、LLMは製造業の専門用語を学習し、プロセス間の関連性を特定するとともに、暗黙知を引き出せるようになります。
- 各業務の専門知識の調整
業界全体の知識を習得したLLMに対して、業務ごとの専門知識を学習させます。プロセスマニュアル、サービスマニュアル、トラブルシューティングガイド機能ごとのワークフロー、ソリューション、さらには機器の故障を察知する予知保全の技術を取り入れます。このプロセスを通じて、LLMは業務に特化した解決策を提案できるようになります。
- 企業固有のデータを反映
企業固有のデータを組み込んで、完全にカスタマイズされたLLMを構築します。企業のポリシーや手順、過去の生産データ、パーソナライズされた提案事項などをLLMに取り入れることで、LLMは企業の業務環境や課題を理解し、企業にとって実用的なインサイトを生成できるようになります。
図1：カスタムLLM
- 責任あるAIの実現に向けた運用ルールの整備
LLMを適切に活用するためには、セキュリティやプライバシーの確保といった、責任あるAI（AIが持つ公平性や安全性などのリスクへの対処に取り組む体制・仕組み）を運用するためのルール作りが重要です。例えば、トレーニングデータの暗号化や機密情報の管理強化、透明性を確保するために人間が関与する管理システムを導入し、LLMを適切に運用できるようにします。またLLMが出力する情報のバイアスを軽減し、偏りが生じないよう調整します。これらの施策を通じて、製造業に関する専門知識を有し、企業の業務効率を改善する、強力で専門的なLLMを構築できます。
- 検索データを活用したLLMの高度化（RAFT）による精度の向上
最適化されたLLMに対し、さらなる精度向上のために検索データを活用したLLMの高度化（RAFT）を適用します。これにより、検索拡張生成（RAG）と最適化（ファインチューニング）の利点が得られます。例えば、LLMが業界特有のパターンを学習できるようになり、外部データと連携して、環境や背景情報を理解できるようになります。その結果、 意思決定プロセスの強化により重要な情報に基づく判断が行えることで、業務の効率化と精度の向上が進み、競争力を高めることができます。
カスタムLLMがもたらす成果
カスタムLLMは、製造業における暗黙知と複雑な文書による目に見えない壁を破るソリューションです。
このようなAIを活用することで、以下の点で役立ちます。
- 正確性の確保
LLMは、膨大な量のデータを分析して、ヒューマンエラーを最小限に抑えます。さらに一貫してベストプラクティスに準拠することで、高品質のアウトプットが期待できます。
- 意思決定の迅速化
センサーデータ、過去の傾向、ドキュメントやマニュアルで構成された大規模データをリアルタイムに分析することで、潜在的な問題を短期間で特定し、迅速な意思決定を可能にします。
- 暗黙知と専門知識の利用可能性とアクセス性の向上
経験豊富な従業員の知識が、退職によって失われることを防ぎます。LLMはこの知識を保持し、さら洗練させます。新しい従業員にも利用可能で、十分な情報に基づいた意思決定を可能にします。
- コスト効率の向上
ミスの削減、品質管理の改善は、大幅なコスト削減につながります。さらに、新しい従業員のトレーニング時間の短縮により、運用コストをさらに最適化します。
- 先手を打つリスク管理の実現
LLMは、傾向を分析し、潜在的な設備の故障を予測することで、予知保全を可能にします。これにより、ダウンタイムを防ぎ、スムーズな生産の流れを確保します。
- 継続的な学習と改善の促進
新しいデータから学習して適応するモデルの特性により、継続的な改善が促進されます。LLMがデータを学習し、より知識が増えることで、製造プロセスの微妙な違いを理解できるようになり、さらなる効率向上とイノベーションにつながります。
今後の方向性
実用的なインサイトを獲得しインテリジェントな製造業へ。
企業のプロセス全体に高度なテクノロジーが活用されることで、各製造行程の生産性と効率が向上します。生成AIは、バリューチェーン内の部門ごとに分かれたデータを最適化して意味のあるものにし、そこから得られる実用的なインサイトを獲得する強力なツールです。必要に応じて暗黙知にアクセスできるようになり、迅速な意思決定を可能にします。そして、継続的な学習を促進することで、このカスタムLLMは、未来のインテリジェントな製造業への道を開きます。
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