旅行・ホスピタリティ(以下、T&H)業界の企業は、歴史的な激動のただ中にあります。
単にコロナウイルスのパンデミックで需要が枯渇し、資金難に苦しんでいるだけではなく、危機のさなかでビジネスへの影響がどれほどのものか見通せないまま、前例のない回復への道筋を探らなくてはなりません。
コロナ後の世界で持続性を持ち、より強い存在感を示すためには、それぞれの企業が新しい日常への変化をリードする役割を果たし、目的志向型で発展していくことが重要です。そのためには、相互運用性に優れ、より大きな目的─顧客、従業員、社会全体の信頼と安全、そして幸福─ を実現できる、堅牢かつ適応力のあるエコシステムを構築することが必要です。
T&H 業界は世界で最も大きな経済領域の一つで、世界旅行ツーリズム協会(WorldTravel & Tourism Council, WTTC)によると、全世界の雇用の一割(3,300 万人)を支え、GDP の 10%以上を生み出しています。故に今回のような大規模な危機は、経済のみならず社会全体にも大きな影響を及ぼします。人間主体のサービスを中心としたこの業界に、パンデミックは世界規模の停滞を招いています。他の業界ではデジタル化を加速することで回復が見込めるかもしれませんが、T&H 業界では人間とテクノロジーがバランスよく連携していくことが大切です。
T&H の企業は本質的に資本集約型で、膨大なインフラコストや固定費がかかります。また小規模なビジネスが連なる、非常に細分化された業界でもあります。こうした小規模事業主はバリューチェーンにおいて重要な役割を担っていますが、その半数以上は年間売り上げが 250,000ドル以下の事業主です。これは目下、小規模事業主が存続の危機にあることを意味し、大企業が無駄のない機敏なビジネスモデルへの進化という課題に直面する中で、事業統合(M&A や売却)の可能性があることを示しています。
私たちはこの業界の特性を踏まえ、企業に対して以下に挙げる五つの短期的、中期的、長期的戦略の実行が必要だと考えています。
今日の T&H 業界の姿は、消費者需要の変化やサプライチェーンの変革、企業化や民営化を受けて時代とともに進化してきた結果といえます。新型コロナウイルスの危機は、この業界における経済持続性のリスクを浮き彫りにしました。危機を生き延び長期的な持続可能性を得るために、業界はコストセンターを再構築し、再定義した目的と強みに基づいてパートナーシップや顧客のメリットを見直す必要があります。
■シンプルで迅速な決算プロセスによるキャッシュフローの改善
旅行需要の回復には時間がかかると予想され、T&H 業界では事業集約の必要性がますます高まっています。非効率なレガシープロセスが根強い従来型の決算では、処理に数カ月を要します。一方、消費者やサービス提供者、金融機関をつなぐ協業的なエコシステムでは、決算ソリューションの加速や簡素化により、キャッシュフローの改善が可能となります。
■コスト構造をひもとき、強みで差別化
一般的な機能のコモディティ化やアウトソーシングにより、固定費(間接費)を削減し、コスト構造のスケーラビリティを改善するチャンスが生まれます。こうしたコモディティ化されたサービス(例えば事業転換のマネジメント、派遣サービス、プロパティの管理)のロケーションベースでの統合は、それぞれの地域で強い存在感のある事業を持つ企業にとってビジネス機会になります。「ウーバライズ」(※既存のビジネスモデルを、App を使ったオンデマンド形式に変えること)化された流動資産の配置で運用業務を実行することで最適かつオンデマンドなサービスを提供し、エコシステム内の余剰を減らし、間接費をさら に削減することができるのです。
長年にわたり航空や鉄道などの公共インフラ事業は、株主価値のさらなる拡大に向けた競争と運営効率化目標を達成するために、企業化してきたものですが、旅行需要に依存するという旅行会社と同様の脆弱性をはらんでおり、現在の危機的状況によってこのリスクが露呈しています。航空・鉄道業界は今、インフラの提供者としての強みを生かし、効率のよい旅行サービスを提供しながら、多様な体験の場となるべく変革の道を探ることが求められているのです。そのチャンスとなる一例として、「スマートエアポートシティ」が挙げられます。これは、小売市場、経済特区、マルチモーダルな交通体系、体験の場といったさまざまなケイパビリティを統合し、インフラ投資から飛躍的な価値の創造を目指すものです。
消費者にコンピューター技術が普及したことで、効果的な媒体を使ってタッチポイント(※顧客との接点)を変革し、コンテクスチュアルな交流を提供することが可能になってきています。AI のケイパビリティの統合により、デジタルインターフェースはより人間的かつ共感的で、インテリジェントな意思疎通ができるように進化しました。今日の状況を見れば、デジタルケイパビリティがどれほど巧みに人間の働きを補えるか想像できるでしょう。こうしたデジタルケイパビリティは、顧客との接点における安全性を高めるだけでなく、非常に低コストで運用でき、適切なデジタルツールを用いて従業員の業務をレベルアップすることも可能です。
■人間と機械の連携による魅力的な顧客体験の提供
T&H は本質的に顧客体験を中心にした業界であることから、人間味は重要な要素といえます。コネクテッドデバイスによる機械化もまた、正確で衛生的、透明性のある運用から、ビジネスチャンスを生み出します。人間らしさと機械化の両立は、目的やターゲットとなる顧客層、さらに絶え間ない行動傾向の検証に基づいてなされなければなりません。耐久性が求められるオペレーションロボットや特定地域の自動運転車などは、既存・新規事業において、人間の仕事を機械で代替できる例として挙げられます。もう一つの例は、チェックインデスクやインフォメーションデスク、搭乗ゲートリーダーなどの共有施設を、個人のデバイスによるフルサポートに切り替えることです。スマートデバイスや、カスタマーエクスペリエンスに変革をもたらす 5G などの新規テクノロジーを見据えるべき時に来ているのです。
■情報のエコシステムでサイロ化を解消
旅行におけるコンプライアンスに関する情報共有の在り方を改善するとともに、旅行者の識別、申し込み情報、資格・権利を含むまとまったサービスの提供が急務となっています。信頼性が高く、共通の確実なデジタル旅行の取り組みは、現状の情報のサイロ化の解消にもつながります。さらに、旅行者の同意に基づいたアプローチにより、個人情報の共有から得られる価値を顧客に戻すという効果があり、インタラクティブな企画も容易にします。顧客エンゲージメントにとって、透明性や信頼性、確実性はなくてはならないものです。T&H 業界の企業は透明性と安全性について、常に高い基準を掲げてきましたが、これからはさらに先を見据え、「安全に旅をすること」「安全に滞在すること」への基準をつくり上げ、顧客に示す必要があります。厳格な監査システムの下、安全性の基準を維持管理することが信頼関係の構築につながるでしょう。顧客はそうした対応を期待し、評価し、選択する際の基準にするのです。
今回の世界的なパンデミックは、資産やケイパビリティ、パートナーシップを含め、ビジネスを再構築して価値を加速させる機会ともいえます。企業には、クラウド、AI、遍在するコネクティビティといった先進的技術への戦略的な投資の検討とともに、独自のヒューマンインタラクションを構築してシームレスな顧客体験を実現し、価格に見合った価値を提供することが求められるでしょう。
■需要志向で機敏なビジネスモデル
新たな製品やサービス、運用モデルのこれからの進化は、主に二つのパターンがあります。一つは従来から提供してきたものを新しい目的や顧客層に合わせて再定義すること、もう一つは新たな価値をともに創出することです。今後、機敏な原理を踏まえたミニマルな運用モデルがますます発展していくでしょう。バリューチェーンのあらゆるプレーヤーが、ダイナミックな運用モデルやリアルタイムでのオペレーションプランニング、運用と企画のポートフォリオ間での頻繁なフィードバックサイクル、そしてパートナーや関係者とのより緊密な連携を通して、レジリエンスを強化していくことが必要です。
■場所によらないサービス提供
航空業界の大企業の多くは、旅行需要に対して既にキャパシティの限界を迎えています。ウィズコロナの時代には、さらに社会的な(医療上の)配慮もなされるでしょう。パンデミックはこの業界に変革をもたらし、デジタル技術を駆使し、張り巡らされたインフラを通して、リモートでさまざまな作業が行われるようになるでしょう。例えば、現地で荷物を集荷し、都市部の交通のポイントでそれらを受け取ることができるシステムを構築し、旅行者の安楽を上げることなどが挙げられます。また、ますます開発される VR や AR、テレプレゼンスといった新たな没入型ユーザーエクスペリエンス技術により、幅広い顧客マネジメントやフィールドサービスの効果的な手段として、リモートワークの活用がより加速していくでしょう。バックオフィス機能が既にリモートで運用されているように、企業の機能の多くがリモートワークに移行していくことが予測されます。
パンデミックの混乱が収まるにつれ、企業は顧客と従業員の健康を最優先してほしいという期待に初めて直面することになるでしょう。この要望に確実に応えるためには、T&H業界のプレーヤーが従来の枠組みにとらわれない商品やサービスをつくり上げ、包括的なソリューションを提供しなければなりません。
大企業はバリューチェーンの中枢役割を生かし、全体論的健康や幸福へのニーズを満たすことに向けた目的志向の戦略を実行する必要があります。そのためには、安全な旅を保証するドア・ツー・ドアの高度なサービス、積極的なモニタリングやサポートによる顧客の安全圏の確保、不測の事態でのリスクを軽減するための積極的な追跡・抑制機能の設定などの取り組みが求められます。
このような対応が顧客の信頼回復と維持につながっていくのです。こうした期待に応えるには堅牢なエコシステムによる取り組みが必要であり、主要プレーヤーだけでなく、バリューチェーン全体での緊密で長期的な協力体制が求められます。
つまり、レストランやスキー場の事業主のような小規模プレーヤーもまた、この業界に不可欠な存在なのです。また、短期的で狭い範囲での連携にとどまらず、ビジネスで共栄できる Win -Win のパートナーシップを築くことも重要です。プレーヤーはバリューチェーン全体の長期的持続性を確保し、株主や関連コミュニティーのために飛躍的な価値を創造しなければなりません。T&H業界とそこに連なるプレーヤーは、常に経済活動とコミュニティー発展の中心であり続けてきました。
T&H がレジリエンスを持つことは、コミュニティーの再生と経済回復の加速に欠かせない要素であり、新たなビジネスモデルと先進的なテクノロジーにより経済の健全性や運営上の対応力を強化することで、このレジリエンスを実現し得るのです。健康や幸福という概念は、戦略や商品、サービス、運用手順の再編成のカギとなるものです。そして、持続可能なエコシステムが新たなビジネスモデルを促し、ステークホルダーにとっての価値を向上させるのです。
T&H 業界は長きにわたり、顧客ロイヤリティーの提案者であると同時に受益者であり続けてきました。顧客ロイヤリティーがこの業界の回復と長期的な生き残りの鍵を握っていることは明らかです。その醸成は戦略的にさらに重要になり、信頼やブランドの構築にも大きく関わってくるでしょう。エコシステムのプレーヤー間の協業を強化することにより、顧客の生涯価値に対するグローバルな観点を得ることができ、ロイヤリティーのさらなるメリットを顧客に提供できるようになります。また、ロイヤリティーへの統一的アプローチにより、個々のバランスシートにおける責任を軽減し、ラウンジやコンシェルジュサービスといった共有資本投資の活用を促すとともに、より多様な価値を顧客に提供できるようになります。企業は商品やサービスを超えた価値を提供するためには、ロイヤリティーのパートナーエコシステムを活用する必要があります。ロイヤリティープログラムは、顧客に商品やサービスを提供する「ロイヤリティー市場」としてマネジメントされ、持続的かつメリットのある関係づくりに役立てるべきです。T&H は非常に細分化された多様性のある業界であり、変革には理想的な環境だといえます。新型コロナウイルスにより、顧客や従業員に提供する価値を再構築する必要に迫られていますが、この目的志向の新たな取り組みの中心は、さまざまなプレーヤーが提供する多種多様な体験です。そのために、各プレーヤーが緩やかに結び付き、利益を分け合い、ニッチな小規模プレーヤーが参画する際のハードルが低い、柔軟かつレジリエントなエコシステムの構築が必要です。言い換えれば、パンデミックが強力かつ明確な掛け声となり、顧客に全体的な価値を提供するという目的を中心に据えたエコシステムに生まれ変わるよう、プレーヤーに求めているのです。
著者
シャンカール ナラヤナン
タタコンサルタンシーサービシズ
小売り、CPG、トラベル&ホスピタリティ プレジデント&グローバルヘッド
現職以前は、TCS 英国・アイルランド地域のヘッドとして、地域の顧客やコミュニティー、政府との優れた関 係性の構築に貢献するとともに、ビジネス戦略、営業およびオペレーションの責任者も 務めました。